2015年05月23日

その身を凍らせるのが刃ならば

夢を見たのは誰なのだろう。幸せだった。
そう言い切ってしまうのは余りにも容易い。

しかしそれは私の願望に過ぎない。


たった十日前。まだ陽も昇り切らぬ未明。
重く冷たい朝の冷気が辺りに立ち込め、薄らと雨で敷き詰められた石床が濡れている。

普段は衛士が剣を交え、観客の歓声が上がる賑やかな場所。
熱気、怒号、剣戟、歓声。そのどれも聞こえず、不気味な静寂だけが場を支配している。
微かに音を立てるのは、黒服に身を包んだ集団が徐に足を進める音だけだった。

一歩進むごとに足元の水溜りから跳ね上がる泥水が裾を汚していく。
霧雨の中、誰一人雨具を付けていなかった。

その集団の先頭、重苦しい枷を付けられ足を引きずるように進む一人。
薄縹色の髪は雨に濡れ、その顔は暗さに遮られ見ることができない。

もしかしたらわらっているのかもしれない。
どうして己がそう思ったのか。それは分からないが、その顔を夢想し一人ごちた。

どの面々も重苦しい雰囲気を身に纏い、これから死地に向かう歩兵のように思える。
遣える者の為に、とはいえ喜んで死地に赴く者など
余程酔狂か、さもなくば気が狂った者でなければいない。

彼はそのどちらだろうか。それとも、どちらともか。

どちらにせよ、彼が「死地」に迎えられることは事実だった。


――タナッセ・ランテ=ヨアマキス


寵愛者を手にかけ、以後史書から消え失せるであろう大罪人の名。
身分も、地位も、名も、そして命をも剥奪され、それでもなお赦されることない罪。

死した後も魔の国で贖罪に身を灼かれるのだろうか。

ゆっくりと断頭台に首が据えられ、最期の言葉を求められる。
一刻の間。雨のか細い音だけが辺りに響く。彼は口を開かなかった。
まるで、早くこの世から消え去りたいとでも言うように。静かに目を閉じるだけだった。

髪から覘く顔はやはり笑ってなどいない。ただきつく口を閉じ、瞼を伏せている。
これから己がどうなるか理解しているだろうに、一寸の揺らぎもなく穏やかな湖面のように
静かにその時を待っている。

――少し話がしたい

このまま彼を安らかに逝かせるなど見過ごせる訳がない。
私を死に追いやろうとした者が、ただ一瞬の断罪で逃げ果せるなど。
何としてでも、その口を割らせたい。

執行人がどこかに手を上げると、許可が下りたのか半歩下がった。
逃げられはしない、とその体が物語っている。

彼を正面から見据える。
予想とは反し、彼は何の表情も示していなかった。
こちらを嘲ることも、憎しみを発露した表情も、何もなかった。

「タナッセ」

彼の口は雨に濡れるばかりで、何の言葉も返しはしない。
指で彼の顔に触れる。なぞってみても、何の表情もしない。

……私に残された時間はあまりない。

頬に手をやり、顔を近づける。
それでもなお何の表情も見せない。

これから二度とないであろう、口付けをする。
雨に濡れたそこは冷たく硬かった。

執行人が慌てて私をタナッセから引き離す。予想通りだった。
ただ一つ、予想外だったのは彼の表情だった。

無表情でもなく、驚くわけでもなく。
笑っていた。悲しそうに嬉しそうに嗤っていた。

衛士に連れられ、徐々に私と彼の距離が開く。

嘲っているのか、自嘲しているのかは分からない。
もしも。

そうならば。

「好きだったよ」
「……物好きだな、お前も」

最期に聞いた言葉は、雨に掻き消されそうなくらいに小さかった。

罪は断罪される。
降りしきる雨の中、その首は落とされた。

鮮血が空に舞い、朝日に眩く輝いたように見え――


――辺りを仄白い光が照らしている。
目に映るのはいつもの天蓋と殺風景な居室だった。

まるで今しがた見てきたような、生々しい感覚。
噎せ返る様な血の匂いを思い出し、喉元が思わずえずいた。

「何なのだ、あれは」

奇妙な夢だった。

私は誰で、あれは誰だったのだろう。
殺したのか、それとも殺されたのか。

……私は誰を殺したのだろう。
posted by ロベリ at 21:08| かもかて小話 | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。