2015年05月23日

互いに見えざる縁なれど

レハト視点、タナッセ視点の2本立て。憎悪タナッセとレハトのどこか複雑な関係のお話です。

――望むものは刺激ではなく。


候補者が成人した月、私は彼と婚約を交わした。
しかし、そこに愛など存在しない。

あるのは憎悪と羨望だけで、私に向けられるのは日々の鬱憤だった。
私に与えられた猶予は約一ヶ月。

篭りの間だけの、仮初めの安泰だった。

私は成人する。選択した性は女性。
否、『選択』という言い方は間違っているのかも知れない。

私は女性になる事を強要されている。

正確に言えば、そう。あの日、私は彼に…… 思い出したくもない。
身の毛のよだつあれ。あの出来事は私の意思さえ奪い、強制的に分化へと導いてしまった。
彼が望む性へと。

何も政略結婚をさせられたわけではない。彼はそんなもの微塵も望んでいない。
ただ、私を縛り付けたいだけだ。側に置いて、絶望させたいだけだ。

……あの日から、私は彼なしでは生きられなくなっている。
定期的に彼から供給を受けなければ、立つ事すらままならない。
方法は至って単純明快なものだった。

――生殖行為。

それが何を意味するのかは、言いたくない。
仮に私があの時、強制的に分化する事にならなくとも
儀式で疲弊したこの体は彼なしでは生きられないだろう。

彼は知っている。
私が逃げる事はないのだと。私が逃げられるはずがないのだと。

最初こそ逃げようと思った。
このままではいつ殺されるか分からない。

そうでなくとも繰り返される陵辱に、最早耐えられるはずがなかったのだから。
だが、私は逃げられなかった。

『逃げたいのなら勝手にするがいい』

彼は知っている。私が逃げられない事を。
屋敷を逃げ出した。これで自由になれるのだと思った。……思った、だけだ。
自由の幸福に浸れたのは僅か一刻、身体から力が抜け嘔吐感がこみ上げ
嗚咽を漏らすことしかできなかった。

火で炙られるような喉の痛み、針を打ち込むような胸の痛み。
呼吸をするたびに心の臓が早鐘の如く鳴った。

誰もいない屋敷の庭の隅で死ぬのか、こんなに苦しんで死ぬのか。
神の使者ともあろうものが、こんなところで。

息が詰まる。助けて欲しい。

喉から嗚咽を漏らすと、背後から誰かが近づいた。
いや、分かっている。ここは彼の屋敷だ。

『……逃げるのでは、ないのか?』

彼はどんな顔をしているのだろう。

それから、私は逃げることをやめた。彼は私を止めたりしない。
戻ってくることも、もう逃げないであろうことも分かっているからだ。

事実その通りだった。
犯される痛みも、貶される悔しさも、身体から奪われるあの痛みに比べたら些細なものだった。
従順な奴隷になればいい。

そうすれば私は。

「お前はそうまでして生きたいのか?」

私の首にかけた手に力がこもる。骨がギチギチと怪しげな音を立てている。
薄暗い部屋では彼の表情は見えない。口を開いても、圧迫されている事でくぐもった息しか出なかった。

私は何をしているのだろう。一瞬辺りが瞬いた。視界が明滅し、薄れていく。
何故今頃、あの時の事を思い出したのだろう。

幸せな事なんてなかった。無理やり城に連れてこられ、揶揄され、嘲笑され。
果てはこのざまだ。何もいい事なんてなかった。私は死ぬのだろうか。

「何だ、やけに殊勝な態度だな。それとも、寵愛者様はそういう嗜好の持ち主かな?」

私は。

「や……だ」

無くなったと思っていた。苦しい、悲しい、辛い。そんなもの、私には余計だった。
ただ彼に従えば良かった。それで生きる事ができた。

『そうまでして生きたいのか』

分からない。でも、死にたくはなかった。

「やだ……」

彼は私を殺すだろう。最早彼にとって私など、何の価値も無いのだから。

いい子にするから。
もう逃げたりしないから。
お願いだから。

いい事なんて人生で何一つなかった。私はここで死ぬ。彼の手によって屠られる。
冠を戴かなかった哀れな寵愛者は、歴史の闇に去る。私は。私は……

「……ふん」

圧迫されていた肺に一気に空気が流れ込み、何度も何度も噎せる。

「死に損ないの貴様なぞ甚振っても不愉快なだけだ。もういい、どこにでも去ね」

何が起きたのかよく分からない。彼は手を放し、私から離れると椅子に深く座り込んだ。

「私の気が変わらぬ内にさっさと失せろ。部屋に戻れ」
「な…… なに……」

声が掠れてうまく出ない。

「聞こえなかったのか?」
「それとも、やはり寵愛者様は大層な被虐趣味であらせられるのかな?
……今すぐ去ね。さもなくば、今度こそその細い首を折っても構わんぞ」

何が起きたのか分からないまま、扉に向かう。
しかし、十分な供給がなかった私は半ば這うようにして扉に向かうしかなかった。

きっと彼は舐めるように私をみている。蛇のようなその眼で見ている。

「……い……らさ……」

彼が何事か吐き捨てると、こちらに向かってきた。強引に腕を取られる。

――供給。

私にとって日常茶飯事のそれ。だが決して心地の良いものでは無い。
反射的にびくりと背が跳ねた。

犯される。

そう思って目を強く瞑る。……だが、いつまで経ってもそれは訪れなかった。
代わりに、何か柔らかくて温かいものが触れた。

とくとくと胸に温かいもの――彼に奪われた、私が生きるためのそれ――が流れ込んでくるのが分かる。
触れた箇所が唇だと気付くのに、そう長い時間はかからなかった。

「……勘違いするなよ。貴様の為に褥に就くのが面倒だっただけだ」

今まで私がどんなに苦しんでいても、口付けなんてされた事はなかった。
そもそも、口付けで供給される事実など今知ったばかりだ。
彼は…… 彼は知っていたのだろうか。

「さあさっさと失せろ。もう動けるだろう」

まともに動くようになった身体で扉を開ける。
扉の隙間から彼を一瞥すると、椅子に戻ったらしく、窓を通して何処か遠くを見ているようだった。

あんな表情、今まで一度も見た事は無い。彼の気持ちが分からない。
まだほんのりの温かい唇を押さえたまま、扉の外で俯くことしかできなかった。

------------------------------------------------------------------------------


――鏡合わせの真実。


特に理由があった訳ではなかった。

何故あの時口付けたのか。いや、本当は理解している。
褥に就く事が億劫などは建前で、私は求めていたのだろう。

感情の、発露を。

あいつは私の奴隷のようなものだった。
来る日もくる日も、供給と名ばかりの性行為を繰り返し、強引に力を『戻して』いく。

戻す。
それは、あの時、あの儀式で私がやつから奪ったもののことだ。
あいつは私なしでは生きていけない。

どんなに私を憎もうとも、どんなに私を恨もうとも、私から離れることはできない。
無論、殺す事など出来るはずがない。それは即ち、やつ自身も死ぬという事だからだ。

定期的に供給がされなければ、歩く事は疎か、喋る事も息をすることもままならないという。
焼かれるような痛みが襲い、苦しくて仕方がないのだと。

私はそれを利用しているにすぎない。

私がいなければ生きられない。その事を盾にずっと縛り付けている。
この屋敷という鳥籠の中に、ただ一匹哀れな小鳥を。

最初こそあいつは逃げようとした。
だが私は知っていた。あいつは逃げられない事を。必ず戻ってくるであろうことを。
だから敢えて逃がしたのだ。苦しみ、もがき、絶望すればいいのだと。

そして奴は帰ってきた。……正確には、私が迎えに行ったのだが。
庭の端でボロ切れのように丸まっていたあいつを。

そうして奴は逃げることをやめた。抵抗することもやめた。
私に従順な奴隷となり、ただ只管に犯されていた。生かされていた。

目からは光が消え、いつもどこかを見ているようだった。
それがどうしようもなく腹立たしく、嬲るようにいたぶり続けた。

退屈で億劫な日々。代わり映えのしない行為。

嫌気が刺していた。
抵抗しない木偶人形と同じレハトにも、ただ生かすためにある種利用されている己にも。

殺すことを考えたこともある。何度も演じられる茶番に幕を降ろすには、そうするしかないのだと。
しかし、出来なかった。何度も首に手をかけ、苦しむ姿を見てきた。

それでも、殺せはしなかった。

犯すことは出来るというのに、己に付きまとうであろう揶揄を恐れ……否。
揶揄など問題ではない。

私は、臆病なだけだ。
かけた手を締めることができなかった。
人の命をこの身一つで握るなど、あまりに重かった。

殺すことも、生かすことも。
何も返さない虚ろな奴を見るたびに、己の無意味さを呪った。

そして幾許かの夜が来る。
いつもと変わらない行為。褥に押し倒し、愛撫もせずにただ強引に押し込み、動き、出すだけだ。

口付けすら交わさない。愛などどこにもありはしない。
ただ機械的に、『普段通りに』行うだけだ。

奴は何も返さない。痛いとも何とも。
時折苦しげに顔を歪める、それだけが奴だった。

「そうまでして、生きたいのか」

思わず口をついていた。こんなことをされてまで、生きたいのかと。
いつもと同じ、能面な顔。憎らしかった。腹立たしかった。

「お前は、そうまでして生きたいのか」

微かな声で、奴が何事かを呟いた。
頬が熱くなった。腸が煮えくり返り、指に力がこもる。

「……黙れ」

レハトは黙らなかった。一言、ぽつりと。

「……っ、黙れと言ったのが聞こえなかったのか」

骨が軋むほどに力をいれた。
奴の首からは妙な音が漏れ、胸が詰まったのか苦しげにえずいている。

感情の発露が見たかった。

遠い昔においてきてしまった、それ。蠱惑的な、それ。
いつからこう思っていたのか。それとも、今思ったのか。

苦しそうなレハトを見て、呆然と首を締めていた。

「や……だ」

掠れた声でそう呟かれる。苦しそうにうめき、泣いていた。

「やだ……」

泣いている。

「……ふん」

これ以上こいつを甚振って死なれても困る。腕を放すと大きく噎せ込んでいた。
……死なれて困る、というのは建前だ、いや、間違ってはない。

だが…… 私には理解ができない。

「死に損ないの貴様を甚振ったところで不愉快なだけだ。どこにでも去ね」

考えることをやめ、不快の元凶を追い払った。
しかし、供給が足りないのか奴は床で打ち上げられた魚のように這いつくばっていた。
目で追っても一向に扉にたどり着きそうに無い。

「……ちっ、苛々させる」

レハトに近づき腕を取る。恐れたように肩がびくりと上がり、震えていた。
褥に戻るのが面倒、など。建前だった。

久方振りの感情。垣間見得た発露。
もっと、見たいと思ってしまった。

腕を引き寄せ口付ける。ふわりとした唇は、甘かった。

「……勘違いするなよ。貴様の為に褥に就くのが面倒だっただけだ」

口付けで供給が出来る事は知っていた。ただしなかっただけだ。
しようとも思わなかった。今口付けたことさえ、己を信じられない。

奴は目を丸くしていた。感情が見られたことが嬉しい、など。
私はこいつに何を期待しているのだろう。

「さあ、さっさと失せろ」

これ以上こいつがそばにいては、己が己でなくなる気がした。
何を求めているのか、何を望んでいるのか。
己にすら分からない。

レハトを追い出し窓の外を見る。
遠くの空では、鳥が一羽、空に向かって飛んでいた。
posted by ロベリ at 21:04| かもかて小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。